薔薇に抱かれ

第二章『乙女座の少女』


宇宙世紀0083年7月28日
地球時間00:15
地球
女の色っぽい声が、薄暗い部屋の中に聞こえる。

「あ〜ん、あっ、あっ」

「…………」

「あ〜っ、感じる」

「…………」

「ちょっと〜!」

「あっ! ごめん」

「も〜う!」

「…………」

「触るならさぁ〜、こうも〜っと、やさしくしてよぉ〜」

「こうか?」

「そうそう、いい感じ、あっ、……気持ちいいよ」

「気持ちいい?」

「うん、すごくいい……」

「なあ〜、ちょっとだけ、なあ〜」

「……う〜ん。でも内緒だからね」

「ああ、内緒、内緒」

「じゃあ、明かり消して…………」

「わかった」

そう女に言われた男は欲望のままに、二人がいる部屋に広がるその光の生命を
左右するであろう照明機器につながるスイッチに触れるべく、トランジスター
グラマーな女が横たわるソファーから立ち上がろうとしているところだった。
男が女に背を向けて歩き出した。「カチッ」という音と同時に二人の世界は闇
に包まれる。
これから、時間をも超越した極限の快楽を求めあう男女には、最高のシチュエ
ーションといったところである。時代は宇宙世紀になり、人間の感性や感覚が
旧世紀の時代をよりはるかに陵駕したとはいえ、男と女の肉欲はなんら変わり
なく、やすっぽい官能小説のプロローグじみた行為は人間の遺伝子情報により
永遠に尽きることはないのだろう。この二人もまた同じく、いや、この僅かな
時に何千何万という男と女がその飽きることのない性の衝動に駆られているこ
とだろう。

『カチッ!』

しかし、その音が、既にチャンバーに送り込まれた鉛の弾に、命を与える為の
撃鉄を起す音色、悪魔の囁きとは思いもしない。そう、男の人生までもが真の
闇に包まれる瞬間であった。
数秒後の、この部屋には硝煙の香だけが漂い、女の残り香すらないのだろう。

地球のニホン

今、彼女がいるこの街は眠らないらしく深夜の二時だというのに人々は快楽を
求めて彷徨っているのが、彼女には滑稽に思えた。

「アハハハ、どうかしてるよ。こんなに人がいるのに、誰も気がつかないなん
て。バ〜カみたい。……ドカーン! ってね。アハハハハ」

彼女とすれ違う人々は、酔っぱらいの女が高笑いしていることくらいにしか思
っていないようである。
刹那、彼女の後方に聳え立つ高級感溢れる高層ビルの一室の窓の明かりが断末
魔の叫びの如く輝いた。街を行く人々はそれが作り出す炎と轟音に振り向かざ
るにはいられなかった。たちまちその場は絶叫の嵐に包まれた。
しかし、この街では別段めずらしい事ではなく、日常茶飯事といったところで
ある。

女は薄暗い階段を下りてBARの扉を押し開けた。

「いらっしゃ〜い」

扉を開けた瞬間に声を掛けられた。その場所は薄暗い場末のBARである。

「ハ〜イ」

女は右手を軽く上げると、カウンターに近寄って行った。

「いらっしゃい」

バーテンダーは二度目のセリフをその女に向かって言った。

「いつものちょうだい」

「Ok!」

いつもの、で通じるあたり、どうやら女はここの常連客らしい。
バーテンは手際よくビールとトマトジュースのカクテルであるレッドアイを作
った。

「はい、おまたせ」

「ありがとう」

「最近、多いね」

「何が?」

長い髪をかき上げながら、真っ赤なカクテルを一口、胃に流し込む。

「あれだよ、ボーンってやつ」

「ああ」

女はタバコに火をつけながら、気だるそうに返事をすると店内にいる客を品定
めするかのように見回した。常連客は自分一人のようで見知らぬ客が七人、二
つのテーブルに分かれて、居るぐらいである。そして、女はこの話題に興味が
ないのかそっけない返事のあと別の話題を持ちかけた。

「今日は居ないのね、あの娘?」

バーテンもなにげなくその話題を切り出しただけなので、それについてはどう
でも良い風である。

「まだ、来てないね。いつもならこの時間にはあそこにいるのに、デートでも
してるんじゃない」

「そう」

言いながら、二人は店内の隅に設けられた恋人同士いわゆるカップル用の小さ
なテーブル席に目線をやった。常連客の間では有名な(あの娘)は、いつもお
さげ髪を結っていることから、ここでは【オサゲ】で通っていた。一週間ほど
前から毎晩ここに一人で来てはそのテーブルでスコッチのロックをチビチビと
やっている。
バーテンも何度かカウンターに誘ってはみたが一人でそこに居るのがいいらし
い。当然常連客の中には話しかける者もいたが、すべて空振りに終わっている。
まあ、変わっているといえばそうなのだが、こんな所に来る人間である。関ら
ないのも一つのルールである。

「よお!」

「いらっしゃい」

常連の一人、ここでは【大尉】と呼ばれている【ガイ・エイス】が店内に入っ
て来た。

「よお! 元気!」

とガイ・エイスはカウンターでレッドアイを飲んでいるパンツにショーツの線
がくっきり浮いている女の尻に軽く触れながら、快活な挨拶をした。
女は彼に尻を撫でられる事には慣れているらしく、気にもしていない。

「まあ、なんとかね。しかしあんたはいっつも元気ね〜」

「まあ、それが俺のうりだからな」

「大尉、いつもので?」

バーテンはオーダーを取るべく、二人の会話の間にプロとしての技術をもって
清流の如く滑らかに割り込んだ。

「おお、ペルシャと一緒でいいぜ」

「はい」

再び先程の真っ赤な血のようなカクテルが作り始められる。

「どうぞ」

「お、Thank you」 

ガイは真っ赤なそれをグイッグイッと喉を鳴らしながら数秒で飲み干してしま
った。これが彼、この店では【大尉】のいつもの飲み方である。かなりの酒豪
らしく、この飲み方が駆けつけ三杯は続く。真っ赤な液体を飲み干されたグラ
スが彼の大きな手から無造作に離れる。カウンターの上に置かれた女性の首筋
のように滑らかな曲線を描くビアグラスの外側には、彼の飲み方に問題がある
のだろう、まるで吸血鬼に噛まれた後のように、レッドアイという名の液体が
首筋からしたたる人間の血のように思えるほど、店内のライトに照らされ、グ
ラスを流れて浮かび上がった。

「なあなあ、また、あったぜ」

「何が?」

「ジオンの連中だよ」

ペルシャは、話題が、先程バーテンが切り出していた爆破騒ぎの事だと解ると
いいかげんウンザリした。

「あ、そう」

爆破騒ぎとジオンの連中、どういう関係なのか。
ジオン公国と地球連邦軍による一年に及んだ戦争が終結しているこの時世でも、
いまだ敗戦国のジオン兵士によるテロ活動が地球のあちらこちらで行われてい
るのである。よって、この街には地球連邦軍の施設が多数存在していることか
ら、こういった爆破行為が日夜続いている。

「戦争は終わったってのに、クソジオンめ! 何考えてんだろうな? マス
ター、おかわり」

「……さあ、私には関係ないし」

ペルシャはそう言いながら、ガイがバーテンに二杯目の注文をかけるべく差し
出したレッドアイの入っていた血が滴ったようなグラスに自分の視線が引きず
られていく妙な感覚にとらわれ、そして、自らが発したセリフに嫌悪感を抱い
た。

「ん? どうした?」

「えっ、何でもないよ」

彼女にとって、爆破騒ぎに関係がないというのは嘘である。このBARでの通
称は【ペルシャ】、フルネームは【ツシェ・ペルシア】。本名か偽名か定かで
はない。スペースコロニー・サイド3出身の元ジオン軍人であり、年齢は28
歳らしい。数刻前におきた連邦政府要人の暗殺及び爆破事件の張本人、ジオン
のスパイである。
常にこの話題で持ちきりなのはこの街にいる以上仕方のない事ではある。が、
良心の呵責に苛まされる時がある。本来なら影を潜めて生き続けなければなら
ない筈なのに、特定の場所で特定の人間に心を許してしまった自分自身の過ち、
それはこのBARに来ている己の愚かさだとは気付いていても、人としての温
もりを求めにココへ来てしまうのである。

「今夜は来てないのか、オサゲ?」

「はい、まだみたいですね」

ガイは例のオサゲの話題を切り出してきた。

「そうか、今夜は一丁、俺が声を掛けてみようかと思ったんだけどな」

「あはは、あんたじゃ無理よ」

「なんでだよ?」

「理由なんて、別にないけど」

「まあ、見てろよ」

「うふふ、じゃあ、賭けようか? あんたが、そうね、あの娘の名前を聞きだ
せたら、これでどう?」

と、ペルシャは人差し指をガイとバーテンダーに差し向けた。

「よし、決まりだ」

「いいですよ」

と二人とも了承した。

「でも、話しかけてから10分以内にね」

「おい、そりゃ、早過ぎないか」

「時間をかけるんだったら、誰にでも出来るわよ」

「……まあ、いいか」

そんなたわいもない会話を三人で続けるうちに例のオサゲが現れた。カウンタ
ーに近づいて来る。このバーでは客席に注文を取りに行くような事はしないの
である。それはやや常連のオサゲも知るところである。

「いらっしゃい」

「すみません、カティをロックで」

「はい」

「失礼、もし良かったら、ここで飲みませんか?」

早速、ガイが賭けの対象者であるオサゲにゲーム開始の第一声をかけた。

「ええ、すいません」

とオサゲが答えたと思いきや、カウンターに自分の手荷物を置きながらその場
の椅子に手を掛けた。

「!?」

ペルシャはバーテンに驚きの視線を合わせた。
オサゲはそのままガイの右横の席に腰を落ち着かせた。
バーテンは別段、不思議がる素振りは見せずにカティ・サークなるスコッチ・
ウイスキーの入ったグラスをオサゲの前に差し出し極々自然にふるまう。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

ガイも極自然にオサゲに話しかける。

「はい、おつかれさん」

とガイはオサゲに乾杯の仕草をし、オサゲは自然にそれにみあう動作で答える。
そして二人のグラスが心地よい音色を響かせた。

―スタート。

ペルシャはチラッと自分の腕時計の数字が3時15分だと確認すると一人微笑
を浮かべた。
ガイはオサゲに対して体をやや斜めにし話しかける。

「最近、良く来るね?」

「はい」

「いっつも、一人で飲んでるけど、こっちに来ればいいのに?」

「そう、ですね」

「なあ、マスター?」

「ええ」

とバーテンは返事をするとやさしい笑みをオサゲに投げ掛けた。二人の目があ
った瞬間オサゲの瞳に吸い込まれそうになった。目鼻立ちの整った美人ではあ
る。かなりの美人ではあるが、そんな事にではない。今までにもオーダーを取
る際などに目を合わせることがなくはなかったが、今夜はいつもと違っていた。
そしてバーテンは彼らの職業によって培われたその洞察力を持って、対峙する
オサゲから発せられるスペース・ノイド特有の匂いを読み取ってしまった。

「わかりますか?」

オサゲがいきなり脈略のないセリフでバーテンに話しかけたのをガイとペルシ
ャはその意味が解らずキョトンとするほかなかった。

「まあ、なんとなく」

「なんだよ? マスター?」

「……?」

ペルシャは、口を出さない。
バーテンはオサゲに瞳を合わせると、軽くウィンクをしてめせた。

「ここには、たくさん居ますよ」

その内容にペルシャもガイもそれ程、鈍感ではない。二人共その道のプロであ
る。彼らには充分理解することができた。
この街、いや地球全体がスペースノイドに対しては好感を持っていない。むし
ろ敵意を抱く輩のほうが多いといえよう、この街などはテロ事件の多発地帯と
いうこともあって、スペース・ノイドと知れるだけで連邦軍や警察関係者の強
制的検挙にあう。

「アシメク・スカイユ」

唐突にオサゲが自らの素性を明かすかの如くフルネームでの名を口にした。

「私の名前です……」

「そうですか、よろしく」

バーテンは普通に挨拶を交わした。

「……? スカイユ? ……スカイユって、スカイユ中将のか?」

しかし、ガイは驚きに似た声を発した。

「ええ、父です」

【エルナト・スカイユ】地球連邦軍極東方面軍第四方面隊の司令官である。
この土地で知らない者は、赤ん坊か旅行者くらいである。
これには、ガイ以下バーテン、ペルシャも驚くほかなかった。ガイにとっては
自身の組織のトップ、上官の何者でもない。
オサゲがわざわざ名を明かす理由は、れっきとしたスペース・ノイドを認めさ
せる為に必要であったからにすぎない。
エルナト中将とは、もともとサイド3の出身者であり、しかも、ジオン公国軍
籍を持っていた人物なのである。1年戦争終了後、ジオン共和国と地球連邦政
府の間で交わされた政策の一つに軍関係に於ける有望たる人材の引き抜きをあ
りとする項が謳われたのである。これによって、オサゲの父エルナト・スカイ
ユも地球連邦軍により強制的に抜擢されたのである。あくまでも表向きではそ
うなのだが、事実は危険因子の監視である。
オサゲが続けた。

「アシミーでいいです。そう、呼ばれてますから。父の部下なのですよね? 
大尉さん」

「えっ、ああ、そりゃ、まあそうですが……」

ガイは、大尉と呼ばれて、ちょっと面食らったような返事をした。幾分か鼓動
が早くなってしまっている自分がおかしくなりながらも話し出す。この店に来
る者は皆、ガイを大尉と呼んでいる。それをオサゲいや、アシミーも耳にして
いて当然である。

「ああ、アシミーさんね、あらためて宜しく。でも、ここの軍人は、みんなス
カイユ中将の部下ですよ」

「ふふ、そうですよね。ごめんなさい」

アシミーは屈託のない笑みをガイにかえした。

「はははは、ええと、彼女はペルシャ、ここの常連なんだ」

ガイはなんとなくぎこちない笑いと共に、自分の隣の女、ペルシャを紹介し始
めた。
その話に耳を傾けていたわよといわんばかりに、ペルシャもアシミーに話しか
ける。

「よろしくね、アシミーさん」

と、アシミーに宙に浮かせたグラスで乾杯の仕草をとり、チラッとガイを見や
りウィンクをした。
賭け勝負に勝ったガイへの賞賛を表したものである。

「よろしく、ペルシャさん」

アシミーもグラスを持ち上げて挨拶をした。
その微笑は、まるで天使のように優しく、彼女の性質が純真かつ正直なものと
でも言わんばかりに意識に流れ込んでくる。
年齢は20歳前後だろうか、肌に若々しさが溢れている。しかしながら、若さ
のわりにはかなり落ち着いた雰囲気がある。服装も常から黒色をベースとした
物が多く、丈の長いスカートにジャケットを羽織っている。ただ髪型だけが妙
に幼く、そのオサゲ髪を解き下ろせばかなりの長さのロングヘアーかつ茶褐色
の光沢のある艶やかな髪が、大人っぽい雰囲気に拍車を掛けそうなものなのだ
が、そんな髪型はただの一度も見たことはない。
ペルシャは、以前から思っていることを聞いてみることにした。

「アシミーさん、いつも一人で飲んでるようだけど、お酒が好きなのね」

「ええ、大好きな人がこのお酒をいつも飲んでたんです」

「そうなの。じゃあ、ごめんなさい詮索するつもりはないんだけど、いつも見
てたのよ、あなたのこと」

「そうなんですか?そうですよね、女の子が、夜な夜な一人でこんな強いお酒
を飲んでるんですものね」

「ふふ、ううん、BARではめずらしくないわよ」

「そうだぜ」

ガイが付け加えた。

「私がちょっと聞きたいのは、気分を害したらごめんなさいね。いつも誰かを
待っているように思えたから、もしかして彼かな〜と。ごめんね」

アシミーは、嫌な素振りは見せずに話し出した。
自分で女の子と言う辺りから、外見よりかは幼さが残る年頃の娘である。この
年頃は自意識過剰で自身の事を何でも話したがる性質があり、アシミーも例外
ではないようである。

「いえ、違います。昔にねここで逢おうって約束した人がいるんです」

「彼じゃないの? その腕時計、大きいわね男性用なんじゃないの? 彼の
じゃ?」

「違いますよ。たしかにプレゼントです。だけど彼氏とかじゃないんです。私
はその人を好きだったんですけど、それで四年後にその人の誕生日にって、こ
こで逢おうって。だけど、もう忘れちゃったんだと思います」

「ごめんね」

「いえ、構いませんよ」

「だけど、その時分、あなた地球に居たの?」

「ええ、父も私もスペースノイドなんですけれど、戦争が始まる前に母とここ
に移住して来たんです」

「そうなの」

「でも、戦争が始まって、またコロニーに帰らなくちゃならなくなって、それ
っきりですね」

アシミーはこの思い出話にペルシャ達が興味津々に聞き込んでくる事に気を良
くしたのか、ベラベラと恥ずかしげも無く自らのロマンス話を続けていった。

「そうか、なんか悲しい話よね。ちょっと涙目になっちゃいそうだわ」

「うお〜! 感動したぜ! っていうか、マジ泣けてきたぞ! コノヤロー!」

と、ガイが大声を張り上げたのに対して別段誰も気にしない。ここでの大尉は
いつも大声を張り上げているので、ペルシャ達やそれを見知っていたアシミー
も驚きはしない。

「ウルサイのよ! あんた! いっつも! いっつも!」

逆にアシミーは、おかしくなってクスクスと笑い出した。

「大尉さんって、いつも賑やかですね」

「ハハハハハ、これしかとりえがないもんで、すいません」

「バカなのよ! こいつ!」

二人の会話にアシミーはまたクスクスと笑い出した。
すべてを話していくうちに三人は昔からの知りあいにでも思えるくらい気心の
知れた酒仲間になりつつあった。

「ねえ、アシミーさん。あなたの名前って? おとめ座の星の名前よね?」

ペルシャが聞いた。

「はい、たしかアラビア語だって言ってました。ニホンではシンジュボシって
呼ぶらしいです」

「私が良く知っているのは、ラテン語でスピカっていうのがあるけど」

「……ええ、そうですね。そっちの方が有名みたいですね」

「でも、アシメクってのも可愛いじゃない」

「ありがとうございます」

やがて、この街にも陽射しが差し出そうとしている頃、近くの基地から起床の
サイレンが聞こえてきた。
ペルシャが、二人に別れを告げる時間が来たようである。

「じゃあ、お二人さん。私は帰って寝るわ」

「おっ、そうか」

「あんたはいいの?」

「俺は今日、休みなんだよ」

ガイはどうやら非番のようである。

「あっそう、じゃあね。アシミーさんもまたね。マスターありがとう」

そう言うとペルシャは自分の手荷物を持ち席を立ちだした。

「あっ、私もそろそろ帰ります」

アシミーも口を揃えてガイに別れを告げるようだった。

「えっ、もう帰るのかよ?」

「はい。じゃあまた。マスター御馳走さまでした」

そして、二人は仲良く店を出て行った。
この店にはもうガイとバーテンダーしか居なくなった。
店内にはBGMすらかかっていない。閉店のサインである。
ガイから話し出した。

「しかし、驚いたよな。スカイユ中将の娘さんだったとはよ。あ〜まいった。
だけどかわいい娘だったよな。な、マスター」

「そうですね、気さくな良い感じの娘でしたね。大尉、まさか? スカイユ中
将の娘さんに惚れちゃいましたか?」

「バカ言うなよ! そんな事してみろ、ガンダムから降ろされちまうよ!」

「ハハハ、そうですね。大尉の恋人はガンダムだけですからね」

「そう、俺にはガンダムちゃんだけなのよ」

朝焼けの入る店内の中に、二人の男の笑い声だけが響いた。
【ガイ・エイス】地球連邦軍極東方面軍第四方面隊 霧虎(キリコ)中隊隊長
この部隊の特徴は主に潜入隠密行動に長けている。霧(ミノフスキー粒子)に
紛れて敵の喉元近くまで接近し一気に殲滅させることから霧虎の異名を持ち、
その中でもモビルスーツ隊のエースパイロット【白虎のガイ】で恐れられ、R
X−78R−09ガンダムTYPE WT(通称ホワイトタイガー)を操るの
が彼である。

店を出たペルシャとアシミーは帰る方向が同じらしく、ペルシャの住む南居住
区へ向かうメイン道路沿いのようなので、一台のタクシーを拾うと二人で乗り
込んだ。先程まで意気投合していた二人だが、疲れが出てきたのか無口になっ
た。車が数分走り、高級店の立ち並ぶ町並みの中に一等背の高いビルの所で、
タクシーは止まった。

「あ、私はここで降ります」

アシミーが先に口を開いた。
車内に収まってからすぐにペルシャは目を閉じていたが、アシミーの声で、重
い瞼を持ち上げた。

「大丈夫ですか? ペルシャさん?」

涙目のペルシャにアシミーが優しく声を掛けた。

「ええ、大丈夫よ。少し酔ったみたいね、大丈夫」

「震えてますよ。大丈夫ですか? あの、もし良かった私の部屋に寄っていき
ますか? ここなんです」

一等背の高いビル【ヴィーナス アクトレス】の名称が付いた、このビルの居
住区がアシミーの家のようである。

「ううん、大丈夫。私もそれ程、遠くないから」

「そうですか。でもお茶でも」

「ありがとう、でも今日はちょっと用事があるから、次回の時は甘えさせても
らうわ」

「ええ、きっと。それじゃあ、さよなら」

「さよなら」

タクシーはドアを閉じると、ペルシャの家へ向けて走り出す。アシミーが見え
なくなるのを確認すると、交差点を曲がりUターンするように二つばかり西側
の通りを北地区へ向けて走り出した。ペルシャの住む所は、先程迄居たBAR
を遥かに超えて北にある。このBARがある街は、ほぼこの軍事都市の中心地
に位置し、軍の基地は東西南北四箇所に分けられている。ペルシャの帰る場所
はその北部軍事基地のすぐ側にある。

「やっぱり、あそこがそうか」

ペルシャの独り言に、タクシーの運転手は聞き返したようだったが、「独り言
よ」とそっけなくあしらって瞼を深く閉じた。
ペルシャはこの街に来て、まず連邦政府関係者宅の場所をすべて把握した。も
ちろんスカイユ中将の家族に関する事もである。しかしながらその娘アシミー
の事に付いてだけは、情報不足により、曖昧だったのである。というより情報
がかなり操作されているらしく人物の特定すら困難な状態にあった、秘密にさ
れていたのである。それらしき人物(影武者)が複数存在する事は調べが付い
ていた。そしてかなりのリスク(今日の爆破事件)を要しながらも調査してい
た所に、偶然にも本人と断定できる証を見つけることが出来た。それがまず目
星を付けていた居場所であり、本人自身が明かした生い立ち等、会話をする事
で確実なものになった。それ以外にも身体的特徴等。

――間違いない。あの娘だ。

スパイとしての勘、いや女としての勘、五感すべてがアシミー本人であると、
今も尚告げている。ペルシャは身震いが止まらない。涙が溢れ出してきた。飲
みすぎによるものでは決してない。後は、彼女をどうやって宇宙に上げるかが、
ツシェ・ペルシア元ジオン公国軍少佐の最終任務である。


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